アルトゥーロ・トスカニーニ
- 2019/08/16
- 09:17
群馬県邑楽郡大泉町の安野由美ピアノ教室です (*^_^*)
アロマテラピーサロンや着付け教室を併設致しております
本日は 今世紀最大の指揮者トスカニーニの若き日を描く
映画「トスカニーニ 愛と情熱の日々」を観ました
(DVD化されていないので VHS 捨てられない)

監督はオペラ演出家でもあるフランコ・ゼッフィレッリ
1988年の作品
音楽院を出たばかりのトスカニーニが
楽団員の一行について南米リオに行きます
楽団員とうまくいかず仕事を投げ出した現地の指揮者の虎で
急遽 オペラ「アイーダ」指揮者デビューを果たします
若い芸術家は こういったチャンスを逃さず
道をひらいていくのですね
素晴らしい指揮者だったトスカニーニ
映画の中で リオで急遽アイーダを指揮をすることになった時
譜面を バンッと閉じます
トスカニーニは記憶力が抜群であったということで
暗譜力が相当すごかった事を表すシーンです
ブラジルの皇帝 ドン・ペドロ2世をパトロンに持つ
オペラ歌手の役で エリザベス・テイラーが
出演しているのも見所です
オペラ アイーダは 奴隷がひとつのテーマであり
また トスカニーニの演奏先ブラジルは
当時まだ奴隷制度があり
それがテーマとなって映画がすすみました
その後ブラジルでは 奴隷制度は撤廃されたけれども
生活の糧を得る事ができず 安心した生活には程遠く
辛い日々は続いたようです
もうひとつ トスカニーニのドキュメンタリーDVDとCDのセットで
「トスカニーニ ザ・マエストロ」も観ました

家族や楽団員 ソリストの証言を元に
トスカニーニの人となりを 指揮者ジェームス・レヴァインが
案内人となって進行していく ドキュメンタリーです
ムッソリーニに対峙する反ファシズムであったトスカニーニは
イタリア ドイツでは 仕事ができなったが
ファシズムへの抵抗として音楽を続けます
オーストリア ザルツブルク音楽祭で指揮を振り
後のイスラエルフィルとなるとオケの創設にも協力し
ナチスの脅威から逃れ ユダヤ人音楽家を助けたいと考えました
オーストリアがドイツに吸収されると
今度はスイスに向かい ルツェルン音楽祭の創設に力を注ぎ
ここで 義理の息子ホロヴィッツと共演を果たしましたが
その後 終戦まで ヨーロッパで演奏しませんでした
その後 ドイツがポーランドに攻め入り
第二次世界大戦が勃発
トスカニーニはアメリカへ…
連合軍侵攻が進み
1943年7月 ムッソリーニは追放され
その6週間後に政府は降伏
スカラ座は連合軍によって
めちゃめちゃに破壊されていた
トスカニーニはスカラ座再建のため
愛する祖国へ戻る決心をします
高齢になっても 積極的に音楽と向き合いますが
90歳を目前に 亡くなります
スカラ座からミラノ記念墓地までの葬送の行列では
合唱団が「ナブッコ」の「行け わが思いよ」を歌いました
これは ヴェルディが亡くなった時
トスカニーニ自身が この場所で演奏したのと同じ曲…
素晴らしいトスカニーニの人生を凝縮した
ドキュメンタリーです ♪
🎵 🎵 🎵
アロマテラピーサロンや着付け教室を併設致しております
本日は 今世紀最大の指揮者トスカニーニの若き日を描く
映画「トスカニーニ 愛と情熱の日々」を観ました
(DVD化されていないので VHS 捨てられない)

監督はオペラ演出家でもあるフランコ・ゼッフィレッリ
1988年の作品
音楽院を出たばかりのトスカニーニが
楽団員の一行について南米リオに行きます
楽団員とうまくいかず仕事を投げ出した現地の指揮者の虎で
急遽 オペラ「アイーダ」指揮者デビューを果たします
若い芸術家は こういったチャンスを逃さず
道をひらいていくのですね
素晴らしい指揮者だったトスカニーニ
映画の中で リオで急遽アイーダを指揮をすることになった時
譜面を バンッと閉じます
トスカニーニは記憶力が抜群であったということで
暗譜力が相当すごかった事を表すシーンです
ブラジルの皇帝 ドン・ペドロ2世をパトロンに持つ
オペラ歌手の役で エリザベス・テイラーが
出演しているのも見所です
オペラ アイーダは 奴隷がひとつのテーマであり
また トスカニーニの演奏先ブラジルは
当時まだ奴隷制度があり
それがテーマとなって映画がすすみました
その後ブラジルでは 奴隷制度は撤廃されたけれども
生活の糧を得る事ができず 安心した生活には程遠く
辛い日々は続いたようです
もうひとつ トスカニーニのドキュメンタリーDVDとCDのセットで
「トスカニーニ ザ・マエストロ」も観ました

家族や楽団員 ソリストの証言を元に
トスカニーニの人となりを 指揮者ジェームス・レヴァインが
案内人となって進行していく ドキュメンタリーです
ムッソリーニに対峙する反ファシズムであったトスカニーニは
イタリア ドイツでは 仕事ができなったが
ファシズムへの抵抗として音楽を続けます
オーストリア ザルツブルク音楽祭で指揮を振り
後のイスラエルフィルとなるとオケの創設にも協力し
ナチスの脅威から逃れ ユダヤ人音楽家を助けたいと考えました
オーストリアがドイツに吸収されると
今度はスイスに向かい ルツェルン音楽祭の創設に力を注ぎ
ここで 義理の息子ホロヴィッツと共演を果たしましたが
その後 終戦まで ヨーロッパで演奏しませんでした
その後 ドイツがポーランドに攻め入り
第二次世界大戦が勃発
トスカニーニはアメリカへ…
連合軍侵攻が進み
1943年7月 ムッソリーニは追放され
その6週間後に政府は降伏
スカラ座は連合軍によって
めちゃめちゃに破壊されていた
トスカニーニはスカラ座再建のため
愛する祖国へ戻る決心をします
高齢になっても 積極的に音楽と向き合いますが
90歳を目前に 亡くなります
スカラ座からミラノ記念墓地までの葬送の行列では
合唱団が「ナブッコ」の「行け わが思いよ」を歌いました
これは ヴェルディが亡くなった時
トスカニーニ自身が この場所で演奏したのと同じ曲…
素晴らしいトスカニーニの人生を凝縮した
ドキュメンタリーです ♪
🎵 🎵 🎵
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