佐野 綿縮
- 2016/06/06
- 16:57
群馬県邑楽郡大泉町の安野由美ピアノ教室です (*^_^*)
着付け教室も併設致しております
我が家の紫陽花も色づきはじめ 関東地方も梅雨入りしました

栃木県佐野市の綿縮
綿織物は江戸時代にはすでに全国で盛んに行われ
肌触りや保温性の良さから庶民の間に普及しました
東北以北では綿作は向きませんが、
綿栽培は西から始まり次第に関東にも広がり
佐野では撚りをかけた糸で織る綿縮が盛んでした
佐野綿縮の起源は嘉永年間(1848-1854)の
糸入紺縮(いといりこんちぢみ)に始まると言われています
明治8年(1875)にはすでに清国に木綿小幅縮が輸出されており
明治18年後半から20年代にかけてピークに達しました
佐野織物の縮の割合は明治40年代には70%にも及ぶほどでした
明治29年 輸入綿花の関税が廃止されると
外国産の安い綿花が入ってきて国内の綿織物は次第に廃れました
現在 佐野で綿織物の反物を織っていらっしゃる方を探すのは難しく
ましてや綿縮となると もう見ることはできそうもありません
梅雨の時期に綿の縮が着られたらどんなにか心地よいことでしょう
佐野には厄除け大師で知られる惣宗寺があり
ここに足尾鉱毒事件に尽力した田中正造さん(1841-1913)のお墓があります

佐野市小中町に生まれ この惣宗寺を本拠地に政治活動をしました
没後100年を記念して出版された 「まんが田中正造 」で
生涯に渡り農民の為に働いた田中正造さんを詳しく知ることができます
足尾銅山から鉱毒が流れ 村に住むことができなくなった谷中村の住民を思うと
とても心が痛みます

本中で妻のカツが正造に木綿羽織をプレゼントする場面もありました

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栃木県佐野市の綿縮
綿織物は江戸時代にはすでに全国で盛んに行われ
肌触りや保温性の良さから庶民の間に普及しました
東北以北では綿作は向きませんが、
綿栽培は西から始まり次第に関東にも広がり
佐野では撚りをかけた糸で織る綿縮が盛んでした
佐野綿縮の起源は嘉永年間(1848-1854)の
糸入紺縮(いといりこんちぢみ)に始まると言われています
明治8年(1875)にはすでに清国に木綿小幅縮が輸出されており
明治18年後半から20年代にかけてピークに達しました
佐野織物の縮の割合は明治40年代には70%にも及ぶほどでした
明治29年 輸入綿花の関税が廃止されると
外国産の安い綿花が入ってきて国内の綿織物は次第に廃れました
現在 佐野で綿織物の反物を織っていらっしゃる方を探すのは難しく
ましてや綿縮となると もう見ることはできそうもありません
梅雨の時期に綿の縮が着られたらどんなにか心地よいことでしょう
佐野には厄除け大師で知られる惣宗寺があり
ここに足尾鉱毒事件に尽力した田中正造さん(1841-1913)のお墓があります

佐野市小中町に生まれ この惣宗寺を本拠地に政治活動をしました
没後100年を記念して出版された 「まんが田中正造 」で
生涯に渡り農民の為に働いた田中正造さんを詳しく知ることができます
足尾銅山から鉱毒が流れ 村に住むことができなくなった谷中村の住民を思うと
とても心が痛みます

本中で妻のカツが正造に木綿羽織をプレゼントする場面もありました

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