紙布 紙衣 (紙子)
- 2016/05/02
- 17:32
群馬県邑楽郡大泉町の安野由美ピアノ教室です (*^_^*)
着付け教室も併設致しております
王子駅を降りるとすぐの緑豊かな飛鳥山公園
ソメイヨシノの季節が過ぎ 4月半ば頃になると
サトザクラの園芸品種で 八重咲の大輪「福禄寿」が見事に満開になります


桜が散り爽やかな新緑の季節になると木綿が着たくなります
木綿は真夏以外着ることができ普段着にはとても重宝致します
お気に入りは 木綿のお着物に紙布の名古屋帯
紙布とは漉き上げた和紙を細く裁断して撚った糸(紙糸)を手織り機にかけ
絹 綿糸を用いて織った布帛です
これに対し柔らかく揉んだ和紙を衣服に仕上げたものを
紙衣 又は紙子と呼びます
紙布や紙衣を展示している「紙の博物館」を訪ねました
飛鳥山公園の一角にあります

こちらでは紙でできた着物を2作品見ることができます
1枚は紙布の着物で経糸が絹糸 緯糸に紙を使った織り物です
展示の作品は 茨城県那珂郡山方町の西の内紙を使用しています
もう1枚の紙衣(かみこ)の着物(紙子とも書く)は
1987(昭和62)年近松座定期公演で上演された「傾城(けいせい)仏の原」で
中村扇雀が使用したもので
こちらの原紙は宮城県白石市の白石和紙です
白石は江戸時代仙台藩の治下にあり
位置的に越河御番所 戸沢御番所を控えていた事で
交通 軍略上極めて枢要な地でした
白石藩は石高僅か1万3千石で片倉家の居城で
僅かな石高で居城を維持する事は困難であったため
手工業的な労働を行わざるを得なかったのでしょう
製糸とその加工業がこの地の主要産物でありました
この地の紙布作りがいつ頃から始まったかは片倉家の記録などにより
3代景長時代の寛文(1661-72) 延宝(1673-80)頃と推定されています
文化(1804-17) 文政(1818-29)時代にはその極みに達し
平紙布 紅梅織 柑霜降 縮織 縮緬織 紋綾織などの
最高級品も作られるようになり
明治の頃 紙布は木綿物の約10倍の値がつけられました
軽く肌触りよく 洗濯に耐え 耐久力も強い紙布の用途は
専ら夏衣として使用されました
経緯共に紙糸を使った諸紙布は
主に畳の縁 蚊帳地 夏帯 袴地などに向けられました
〜 紙の原料となる木々 〜
楮 (コウゾ)
桑科の落葉低木
本州から沖縄 朝鮮半島 中国に分布する
春に多数の小花をつけ 初夏に赤い実が熟す
樹皮の繊維は和紙の原料に使用する
繊維が長く栽培しやすいため 1番多く使われている和紙原料

〜 三椏 (ミツマタ) 〜
ジンチョウゲ科の落葉低木
中国中南部原産
枝が3本に分かれて成長するのが特徴で ミツマタの名前はこれに由来する
樹皮の繊維は和紙の原料に使用する
江戸時代前期頃から使用され始め 明治時代からお札の原料としても使われている

〜 雁皮 (ガンピ) 〜
ジンチョウゲ科の落葉低木
日本列島の中部以南に産し 高さ1.5m位になる
初夏に 小さな筒型の黄色い花が枝先に集まって咲く
樹皮の繊維は和紙の原料に使用する
栽培が困難なため 山中に自生したものが使われる

〜 パピルス 〜
カヤツリグサ科の多年生植物
和名 カミガヤツリ
高さは2m以上に達し 茎は三角形である
紀元前3000年頃から古代エジプトではこの茎の髄を薄くはいで縦横に並べ
圧縮して乾燥させてシートを作り書写材料として広く使用した
紙(ペーパー)の語源となっている

これからの季節に紙布の帯やお着物 出番が多くなりそうです ♫

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王子駅を降りるとすぐの緑豊かな飛鳥山公園
ソメイヨシノの季節が過ぎ 4月半ば頃になると
サトザクラの園芸品種で 八重咲の大輪「福禄寿」が見事に満開になります


桜が散り爽やかな新緑の季節になると木綿が着たくなります
木綿は真夏以外着ることができ普段着にはとても重宝致します
お気に入りは 木綿のお着物に紙布の名古屋帯
紙布とは漉き上げた和紙を細く裁断して撚った糸(紙糸)を手織り機にかけ
絹 綿糸を用いて織った布帛です
これに対し柔らかく揉んだ和紙を衣服に仕上げたものを
紙衣 又は紙子と呼びます
紙布や紙衣を展示している「紙の博物館」を訪ねました
飛鳥山公園の一角にあります

こちらでは紙でできた着物を2作品見ることができます
1枚は紙布の着物で経糸が絹糸 緯糸に紙を使った織り物です
展示の作品は 茨城県那珂郡山方町の西の内紙を使用しています
もう1枚の紙衣(かみこ)の着物(紙子とも書く)は
1987(昭和62)年近松座定期公演で上演された「傾城(けいせい)仏の原」で
中村扇雀が使用したもので
こちらの原紙は宮城県白石市の白石和紙です
白石は江戸時代仙台藩の治下にあり
位置的に越河御番所 戸沢御番所を控えていた事で
交通 軍略上極めて枢要な地でした
白石藩は石高僅か1万3千石で片倉家の居城で
僅かな石高で居城を維持する事は困難であったため
手工業的な労働を行わざるを得なかったのでしょう
製糸とその加工業がこの地の主要産物でありました
この地の紙布作りがいつ頃から始まったかは片倉家の記録などにより
3代景長時代の寛文(1661-72) 延宝(1673-80)頃と推定されています
文化(1804-17) 文政(1818-29)時代にはその極みに達し
平紙布 紅梅織 柑霜降 縮織 縮緬織 紋綾織などの
最高級品も作られるようになり
明治の頃 紙布は木綿物の約10倍の値がつけられました
軽く肌触りよく 洗濯に耐え 耐久力も強い紙布の用途は
専ら夏衣として使用されました
経緯共に紙糸を使った諸紙布は
主に畳の縁 蚊帳地 夏帯 袴地などに向けられました
〜 紙の原料となる木々 〜
楮 (コウゾ)
桑科の落葉低木
本州から沖縄 朝鮮半島 中国に分布する
春に多数の小花をつけ 初夏に赤い実が熟す
樹皮の繊維は和紙の原料に使用する
繊維が長く栽培しやすいため 1番多く使われている和紙原料

〜 三椏 (ミツマタ) 〜
ジンチョウゲ科の落葉低木
中国中南部原産
枝が3本に分かれて成長するのが特徴で ミツマタの名前はこれに由来する
樹皮の繊維は和紙の原料に使用する
江戸時代前期頃から使用され始め 明治時代からお札の原料としても使われている

〜 雁皮 (ガンピ) 〜
ジンチョウゲ科の落葉低木
日本列島の中部以南に産し 高さ1.5m位になる
初夏に 小さな筒型の黄色い花が枝先に集まって咲く
樹皮の繊維は和紙の原料に使用する
栽培が困難なため 山中に自生したものが使われる

〜 パピルス 〜
カヤツリグサ科の多年生植物
和名 カミガヤツリ
高さは2m以上に達し 茎は三角形である
紀元前3000年頃から古代エジプトではこの茎の髄を薄くはいで縦横に並べ
圧縮して乾燥させてシートを作り書写材料として広く使用した
紙(ペーパー)の語源となっている

これからの季節に紙布の帯やお着物 出番が多くなりそうです ♫

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