国立劇場開場50周年記念 文楽 9月公演 一谷嫩軍記
- 2016/09/16
- 22:46
群馬県邑楽郡大泉町の安野由美ピアノ教室です (*^_^*)
着付け教室やアロマテラピーサロンを併設致しております


国立劇場開場50周年記念 文楽 一谷嫩軍記
立作者の並木宗輔が三段目まで作り亡くなったため
他の作者たちが四段目以降を書き継ぎました
今回は国立劇場開場50周年の記念で
祝儀曲 寿式三番叟 を中幕に挟んで三段目までの上演です
平家物語の中では平清盛の甥 敦盛は
一の谷で武蔵武士熊谷直実に討たれた と伝えられていますが
一谷嫩軍記では 後白河法皇の落胤と知った熊谷次郎直実が
同じ年頃の実子を身代わりにし その後 出家の道を選ぶという
ストーリーを展開させています
作品名は 一の谷(神戸市須磨区)で戦った 敦盛と
熊谷次郎直実の実子 小次郎という若い侍を
芽が出てすぐの葉 嫩(ふたば)になぞらえて名付けられています

今回は三段目を鑑賞しました
登場人物
源義経
熊谷次郎直実
敦盛 (後白河法皇の落胤)
敦盛の母 藤の局
石屋の弥陀六 (実は 平宗清=別名 弥平兵衛宗清)
弥陀六の娘 小雪 (実は平重盛の娘)
脇ケ浜の土地の百姓
追っ手 番場忠太と須股運平
庄屋 孫作
熊谷次郎直実の妻 相模
〜 かんたんな あらすじ 〜
源義経の命により熊谷陣屋の桜の木の側に立てられる制札には
「一枝を伐らば 一指を剪るべし」
熊谷次郎直実は 敦盛が後白河法皇の落胤であると知り
「一子を切らば 一子を切るべし」と察する
一の谷の戦いで敦盛の代わりに実子 小次郎を身代わりとし
首を実検に差し出す
封建社会に生きる武将として自らを犠牲にし主君に尽くすが
その後 出家する
平安時代終わり頃 現在の埼玉県熊谷市辺りには
武蔵七党を中心にした多くの武士団がいました
私の住んでいる群馬県邑楽郡大泉町から車で40分程にある
熊谷市には 直実の銅像が建っています
平成24年3月歌舞伎公演 「一谷嫩軍記 流しの枝 熊谷陣屋」では
熊谷市から国立劇場に 熊谷桜 が寄贈され
熊谷次郎直実を演じた市川團十郎さんによって植樹されました

この品種は他の桜に先駆けて咲くことから
先駆けして平家の陣に迫っていった熊谷に因んで
この名が付いています
着付け教室やアロマテラピーサロンを併設致しております


国立劇場開場50周年記念 文楽 一谷嫩軍記
立作者の並木宗輔が三段目まで作り亡くなったため
他の作者たちが四段目以降を書き継ぎました
今回は国立劇場開場50周年の記念で
祝儀曲 寿式三番叟 を中幕に挟んで三段目までの上演です
平家物語の中では平清盛の甥 敦盛は
一の谷で武蔵武士熊谷直実に討たれた と伝えられていますが
一谷嫩軍記では 後白河法皇の落胤と知った熊谷次郎直実が
同じ年頃の実子を身代わりにし その後 出家の道を選ぶという
ストーリーを展開させています
作品名は 一の谷(神戸市須磨区)で戦った 敦盛と
熊谷次郎直実の実子 小次郎という若い侍を
芽が出てすぐの葉 嫩(ふたば)になぞらえて名付けられています

今回は三段目を鑑賞しました
登場人物
源義経
熊谷次郎直実
敦盛 (後白河法皇の落胤)
敦盛の母 藤の局
石屋の弥陀六 (実は 平宗清=別名 弥平兵衛宗清)
弥陀六の娘 小雪 (実は平重盛の娘)
脇ケ浜の土地の百姓
追っ手 番場忠太と須股運平
庄屋 孫作
熊谷次郎直実の妻 相模
〜 かんたんな あらすじ 〜
源義経の命により熊谷陣屋の桜の木の側に立てられる制札には
「一枝を伐らば 一指を剪るべし」
熊谷次郎直実は 敦盛が後白河法皇の落胤であると知り
「一子を切らば 一子を切るべし」と察する
一の谷の戦いで敦盛の代わりに実子 小次郎を身代わりとし
首を実検に差し出す
封建社会に生きる武将として自らを犠牲にし主君に尽くすが
その後 出家する
平安時代終わり頃 現在の埼玉県熊谷市辺りには
武蔵七党を中心にした多くの武士団がいました
私の住んでいる群馬県邑楽郡大泉町から車で40分程にある
熊谷市には 直実の銅像が建っています
平成24年3月歌舞伎公演 「一谷嫩軍記 流しの枝 熊谷陣屋」では
熊谷市から国立劇場に 熊谷桜 が寄贈され
熊谷次郎直実を演じた市川團十郎さんによって植樹されました

この品種は他の桜に先駆けて咲くことから
先駆けして平家の陣に迫っていった熊谷に因んで
この名が付いています
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