9月 お着物会 桐生で機織り
- 2016/09/13
- 22:47
群馬県邑楽郡大泉町の安野由美ピアノ教室です (*^_^*)
着付け教室やアロマテラピーサロンを併設致しております
安野由美着付け教室を終了なさった生徒さまや お着物好きが集う
月に一度のお着物会 「くくり」
今月は群馬県桐生市へ参りました
建物一群が登録有形文化財の 森秀織物へ

1877年(明治10年)創業
1933年(昭和8年)に桐生を代表する織物、お召の製造を始める
以降 工程の設備を整え 機械化を進める
1981年(昭和56年)には桐生織物の歴史を物語る資料や
道具を集めた織物参考館 紫 を設立
現在も 着物 帯をはじめ
織物カレンダーは人気の商品となっている
お召の復活に力を入れ 国立文楽劇場の文楽人形が着る着物に採用される
戦前の旧来の製法でお召を織る業者ということで白羽の矢が立ったのだそう
お人形の縞お召は森秀織物さんのお着物だそうです
八丁撚糸機を今も稼働させ 昔ながらの技で織り続けたいとおっしゃっています
資料館を案内していただきました
ノコギリ屋根は 大きな機音が壁に乱反射することで音を和らげ
北側に取った窓は室内を一日中同じような明るさに保ち
直射日光から絹製品を守るなどの利点があります


数々の機が展示してあり 全て動かし説明してくださいます
BC560頃のおもり機

居座り機
5世紀頃 中国から機織り技術が伝わり
弥生時代の原始機が元となる
現在では越後縮 結城紬の他 各地にわずか残る

糸に撚りをかける 八丁撚糸機

明治時代の高機 (桐生機)
経糸が長くとってあるのが特徴

ジャンボ高機
現存する高機では日本で最大の手織機
桐生市川内町 高草木仙次郎家で
明治15年から20年頃の短い期間使われ
輸出用の羽二重を織っていた
あまりに大きいので3人掛けで真ん中で足踏み
左の織り手が杼を入れる

手織のジャカード機
左手に茶色い紋紙が見えます

裏側に模様が出ますので鏡を使って織り具合を見ます

紋紙を作る機械は別にあり
図案を紋図という方眼紙に写し設計図を作ります


この設計図をピアノマシーンで紋切り屋が紋切りします

手の動きがピアノを弾くようでピアノマシーンの名が付いているそうです

足も使います

空引機(そらひきばた)
日本には5世紀頃中国から伝わり 平安時代に普及
錦や綾などの高級紋織物が織られるようになり
ジャカード機が登場するまで用いられた
ここに織り手がひとり

機の上に補助者がひとり
二人がかりで織ります

綿織物の綿を紡ぐ糸車

半高機
右手で台車にかかった糸を引くと 連動した飛び杼が素早く移動します

見学を終えて 参加者さまが手織体験しました

予め用意したタスキット(ゴム製の簡易たすきがけ)が役に立ちました
お太鼓の中を通したタスキットの両側は輪になっていて
そこに袂を入れ込みます

織物参考館 紫 を後にし
桐生でのお食事は 天保元年創業 うなぎの泉新
越後出身の初代は 江戸後期 横浜へ出てうなぎ屋をしていたところ
桐生の生糸を扱う富豪に「是非 桐生に」と懇願され
天保元年 現在地に泉屋新蔵が開業
現在は6代目と7代目が店の味を伝承されていらしゃいます


桐生ということで お召に葡萄の織の袋帯で

着付け教室やアロマテラピーサロンを併設致しております
安野由美着付け教室を終了なさった生徒さまや お着物好きが集う
月に一度のお着物会 「くくり」
今月は群馬県桐生市へ参りました
建物一群が登録有形文化財の 森秀織物へ

1877年(明治10年)創業
1933年(昭和8年)に桐生を代表する織物、お召の製造を始める
以降 工程の設備を整え 機械化を進める
1981年(昭和56年)には桐生織物の歴史を物語る資料や
道具を集めた織物参考館 紫 を設立
現在も 着物 帯をはじめ
織物カレンダーは人気の商品となっている
お召の復活に力を入れ 国立文楽劇場の文楽人形が着る着物に採用される
戦前の旧来の製法でお召を織る業者ということで白羽の矢が立ったのだそう
お人形の縞お召は森秀織物さんのお着物だそうです
八丁撚糸機を今も稼働させ 昔ながらの技で織り続けたいとおっしゃっています
資料館を案内していただきました
ノコギリ屋根は 大きな機音が壁に乱反射することで音を和らげ
北側に取った窓は室内を一日中同じような明るさに保ち
直射日光から絹製品を守るなどの利点があります


数々の機が展示してあり 全て動かし説明してくださいます
BC560頃のおもり機

居座り機
5世紀頃 中国から機織り技術が伝わり
弥生時代の原始機が元となる
現在では越後縮 結城紬の他 各地にわずか残る

糸に撚りをかける 八丁撚糸機

明治時代の高機 (桐生機)
経糸が長くとってあるのが特徴

ジャンボ高機
現存する高機では日本で最大の手織機
桐生市川内町 高草木仙次郎家で
明治15年から20年頃の短い期間使われ
輸出用の羽二重を織っていた
あまりに大きいので3人掛けで真ん中で足踏み
左の織り手が杼を入れる

手織のジャカード機
左手に茶色い紋紙が見えます

裏側に模様が出ますので鏡を使って織り具合を見ます

紋紙を作る機械は別にあり
図案を紋図という方眼紙に写し設計図を作ります


この設計図をピアノマシーンで紋切り屋が紋切りします

手の動きがピアノを弾くようでピアノマシーンの名が付いているそうです

足も使います

空引機(そらひきばた)
日本には5世紀頃中国から伝わり 平安時代に普及
錦や綾などの高級紋織物が織られるようになり
ジャカード機が登場するまで用いられた
ここに織り手がひとり

機の上に補助者がひとり
二人がかりで織ります

綿織物の綿を紡ぐ糸車

半高機
右手で台車にかかった糸を引くと 連動した飛び杼が素早く移動します

見学を終えて 参加者さまが手織体験しました

予め用意したタスキット(ゴム製の簡易たすきがけ)が役に立ちました
お太鼓の中を通したタスキットの両側は輪になっていて
そこに袂を入れ込みます

織物参考館 紫 を後にし
桐生でのお食事は 天保元年創業 うなぎの泉新
越後出身の初代は 江戸後期 横浜へ出てうなぎ屋をしていたところ
桐生の生糸を扱う富豪に「是非 桐生に」と懇願され
天保元年 現在地に泉屋新蔵が開業
現在は6代目と7代目が店の味を伝承されていらしゃいます


桐生ということで お召に葡萄の織の袋帯で

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