落語「井戸の茶碗」の舞台を歩く〜白金高輪〜
- 2017/05/09
- 21:33
群馬県邑楽郡大泉町の安野由美ピアノ教室です (*^_^*)
アロマテラピーサロンや着付け教室を併設致しております
名演と言われている五代目古今亭志ん生の 古典落語「井戸の茶碗」
それを受けついだ三代目古今亭志ん朝もまた名演です
〜 あらすじ 〜
舞台は 肥後 熊本藩 細川家の下屋敷があった 江戸 目黒白金
屑屋の清兵衛が清正公さま辺りの長屋に住む浪人 千代田から古仏を預かり
それを細川藩の若い江戸勤番 高木に売った
高木が 仏像を湯につけ磨いたところ
台座の紙が剥がれ落ち 中から小判が出てきた
この金は持ち主に返そう と
屑屋に持たせる
屑屋が浪人 千代田に返しに行くと
もう自分の手から離れた物だから 受け取れないという
困った屑屋は 金を受け取れないなら
代わりに 何かお渡しすれば良いのではないかと提案し
茶碗を差し出すことになった
高木に茶碗を渡す
ある時 高木が 細川様に目通りが許された際
その茶碗を見ていただくと
逸品の「井戸の茶碗」であると言ってお買い上げなさった
もらうべき金ではない と困った高木は
浪人 千代田に半分渡そうと 屑屋に頼む
金を持って浪人 千代田を訪ねるが 案の定 金を受け取ろうとしない
高木の嫁に迎えてくださるなら 支度金として受け取るということになり
高木にそれを伝える
浪人 千代田の娘なら と嫁にもらうことを決めた高木に
今は長屋暮らしで粗末な なり だけれど
磨いたら 美しくなるでしょう と屑屋
いや 磨くのはやめておこう
小判が出ると いけないから
というオチ (^_-)
登場人物の 堅過ぎるほど実直 誠実な人柄
そんな人々が繰り広げる人情噺が 好きです (^_^)
落語 「井戸の茶碗」の舞台となった辺りを散策致しました
現在の東京白金に肥後 熊本藩 細川家の下屋敷はありました
白金高輪駅で下車

駅を降り 桜田通りと反対方面に 上り階段が続きます

上った先の右手に 旧細川邸跡地
この辺り一帯が旧細川邸でしたが
スダジイの巨木のみ残っています


黄八丈の黒い色の染料になるスダジイだわ

浪人 千代田の長屋は 清正公さまの辺り ということで
桜田通りを 駅から10分程歩くと
「清正公(せいしょうこう)さま」と呼ばれる「覚林寺」
加藤清正の位牌や像を祀っています
この地は かつて 肥後 熊本藩 細川家の中屋敷でした
文禄慶長の役で 清正に日本に連れてこられた
韓国王族の日延上人が寛永8年(1631)開山
覚林寺は弘化2年(1845) 大火で全焼
山門は安政3年(1856) 清正公堂は慶応元年(1865) 再建
表門の山門は 両側に脇戸の付いた 木造 銅板葺の薬医門




落語には出て参りませんが
覚林寺から見て 桜田通りの向かい方面に
大石良雄他十六人忠烈の跡地があります
細川家が 赤穂事件の義士をお預かりして厚遇した屋敷跡は
元禄16年(1703) 2月4日 大石内蔵助良雄 吉田忠左衛門兼亮
小野寺十内秀和 原惣右衛門元辰ら17人が切腹を命ぜられた所として
東京都指定旧跡に指定されています
白金には 東京都庭園美術館があり
バラのこの時季は 楽しみなのですが
11月中旬まで 全面休館中で 残念
バラは他で楽しむことに 🌹

さて 落語「井戸の茶碗」で 細川様がお買い上げになった井戸茶碗
井戸茶碗は16世紀頃 朝鮮半島から渡来した高麗茶碗の一種
素朴な茶碗ですが 戦国武将の憧れの茶碗であり
千利休 小堀遠州 松平不昧などの茶人の心をも魅了しました
帰宅後 井戸茶碗でお茶にしました ♪

♫ ♫ ♫
アロマテラピーサロンや着付け教室を併設致しております
名演と言われている五代目古今亭志ん生の 古典落語「井戸の茶碗」
それを受けついだ三代目古今亭志ん朝もまた名演です
〜 あらすじ 〜
舞台は 肥後 熊本藩 細川家の下屋敷があった 江戸 目黒白金
屑屋の清兵衛が清正公さま辺りの長屋に住む浪人 千代田から古仏を預かり
それを細川藩の若い江戸勤番 高木に売った
高木が 仏像を湯につけ磨いたところ
台座の紙が剥がれ落ち 中から小判が出てきた
この金は持ち主に返そう と
屑屋に持たせる
屑屋が浪人 千代田に返しに行くと
もう自分の手から離れた物だから 受け取れないという
困った屑屋は 金を受け取れないなら
代わりに 何かお渡しすれば良いのではないかと提案し
茶碗を差し出すことになった
高木に茶碗を渡す
ある時 高木が 細川様に目通りが許された際
その茶碗を見ていただくと
逸品の「井戸の茶碗」であると言ってお買い上げなさった
もらうべき金ではない と困った高木は
浪人 千代田に半分渡そうと 屑屋に頼む
金を持って浪人 千代田を訪ねるが 案の定 金を受け取ろうとしない
高木の嫁に迎えてくださるなら 支度金として受け取るということになり
高木にそれを伝える
浪人 千代田の娘なら と嫁にもらうことを決めた高木に
今は長屋暮らしで粗末な なり だけれど
磨いたら 美しくなるでしょう と屑屋
いや 磨くのはやめておこう
小判が出ると いけないから
というオチ (^_-)
登場人物の 堅過ぎるほど実直 誠実な人柄
そんな人々が繰り広げる人情噺が 好きです (^_^)
落語 「井戸の茶碗」の舞台となった辺りを散策致しました
現在の東京白金に肥後 熊本藩 細川家の下屋敷はありました
白金高輪駅で下車

駅を降り 桜田通りと反対方面に 上り階段が続きます

上った先の右手に 旧細川邸跡地
この辺り一帯が旧細川邸でしたが
スダジイの巨木のみ残っています


黄八丈の黒い色の染料になるスダジイだわ

浪人 千代田の長屋は 清正公さまの辺り ということで
桜田通りを 駅から10分程歩くと
「清正公(せいしょうこう)さま」と呼ばれる「覚林寺」
加藤清正の位牌や像を祀っています
この地は かつて 肥後 熊本藩 細川家の中屋敷でした
文禄慶長の役で 清正に日本に連れてこられた
韓国王族の日延上人が寛永8年(1631)開山
覚林寺は弘化2年(1845) 大火で全焼
山門は安政3年(1856) 清正公堂は慶応元年(1865) 再建
表門の山門は 両側に脇戸の付いた 木造 銅板葺の薬医門




落語には出て参りませんが
覚林寺から見て 桜田通りの向かい方面に
大石良雄他十六人忠烈の跡地があります
細川家が 赤穂事件の義士をお預かりして厚遇した屋敷跡は
元禄16年(1703) 2月4日 大石内蔵助良雄 吉田忠左衛門兼亮
小野寺十内秀和 原惣右衛門元辰ら17人が切腹を命ぜられた所として
東京都指定旧跡に指定されています
白金には 東京都庭園美術館があり
バラのこの時季は 楽しみなのですが
11月中旬まで 全面休館中で 残念
バラは他で楽しむことに 🌹

さて 落語「井戸の茶碗」で 細川様がお買い上げになった井戸茶碗
井戸茶碗は16世紀頃 朝鮮半島から渡来した高麗茶碗の一種
素朴な茶碗ですが 戦国武将の憧れの茶碗であり
千利休 小堀遠州 松平不昧などの茶人の心をも魅了しました
帰宅後 井戸茶碗でお茶にしました ♪

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