七十二候 紅花栄 中山道桶川宿へ
- 2018/05/30
- 00:00
群馬県邑楽郡大泉町の安野由美ピアノ教室です (*^_^*)
アロマテラピーサロンや着付け教室を併設致しております
七十二候 紅花栄(べにばなさかう)
紅花が咲く頃です
埼玉県桶川市へ 紅花を愛でに参りました
山形県の紅花が有名ですが
埼玉県桶川でも かつて紅花栽培が盛んでした
江戸時代 紅花の産地として知られた中山道の宿場町 桶川
桶川産は 桶川臙脂(えんじ) と呼ばれて
山形県に次ぐ生産地として栄えたのだそうです
中山道宿場館に立ち寄り そんな時代に思いを馳せました



五街道のひとつ 中山道は
江戸日本橋から京都三条大橋まで69の宿場があります
埼玉県の9つの宿場の内 江戸から6番目の宿が桶川です
開設当初 58軒だった宿場戸数が
紅花が取引されるようになった1800年には247軒
それから40年 紅花 麦の集散地として栄えた頃には347軒
明治に入り 1885年に高崎線桶川駅が開業すると
宿場の役割を終えた とあります

当時の旅姿

足元は 草鞋(わらじ)


69か所の宿場資料がずらり

すぐ近くに 桶川宿 本陣
本陣は 大名 公家 役人などが宿泊する施設
脇本陣は 本陣に入りきらない家臣 役人 公家などの宿泊施設
旅籠は 一般の人たちが宿泊した宿泊施設

こちらは 天保14年(1843) 尾張 紀州 水戸の御三家の日光参拝、
文久元年11月13日 皇女和宮宿泊、
明治11年(1878) 明治天皇御巡幸の行在所(あんざいしょ)となったそうです
すぐ近くの 矢部家住宅
穀物問屋と紅花商を営み 明治38年に建てられた建物は
当時の繁栄と賑わいを偲ぶ事ができます
(市指定文化財)

国登録有形文化財 小林家住宅
江戸時代末期頃の旅籠として建てられ
その後 材木商を営む小林家に渡りましたが
外観は 当時の姿をとどめているということです

さて
紅花の開花には少し早かったのですが

ポツリポツリと咲き始めていました

今日のコーディネートは
結城紬に 自分で紅花で染めた足袋を合わせました ♪


♫ ♫ ♫
アロマテラピーサロンや着付け教室を併設致しております
七十二候 紅花栄(べにばなさかう)
紅花が咲く頃です
埼玉県桶川市へ 紅花を愛でに参りました
山形県の紅花が有名ですが
埼玉県桶川でも かつて紅花栽培が盛んでした
江戸時代 紅花の産地として知られた中山道の宿場町 桶川
桶川産は 桶川臙脂(えんじ) と呼ばれて
山形県に次ぐ生産地として栄えたのだそうです
中山道宿場館に立ち寄り そんな時代に思いを馳せました



五街道のひとつ 中山道は
江戸日本橋から京都三条大橋まで69の宿場があります
埼玉県の9つの宿場の内 江戸から6番目の宿が桶川です
開設当初 58軒だった宿場戸数が
紅花が取引されるようになった1800年には247軒
それから40年 紅花 麦の集散地として栄えた頃には347軒
明治に入り 1885年に高崎線桶川駅が開業すると
宿場の役割を終えた とあります

当時の旅姿

足元は 草鞋(わらじ)


69か所の宿場資料がずらり

すぐ近くに 桶川宿 本陣
本陣は 大名 公家 役人などが宿泊する施設
脇本陣は 本陣に入りきらない家臣 役人 公家などの宿泊施設
旅籠は 一般の人たちが宿泊した宿泊施設

こちらは 天保14年(1843) 尾張 紀州 水戸の御三家の日光参拝、
文久元年11月13日 皇女和宮宿泊、
明治11年(1878) 明治天皇御巡幸の行在所(あんざいしょ)となったそうです
すぐ近くの 矢部家住宅
穀物問屋と紅花商を営み 明治38年に建てられた建物は
当時の繁栄と賑わいを偲ぶ事ができます
(市指定文化財)

国登録有形文化財 小林家住宅
江戸時代末期頃の旅籠として建てられ
その後 材木商を営む小林家に渡りましたが
外観は 当時の姿をとどめているということです

さて
紅花の開花には少し早かったのですが

ポツリポツリと咲き始めていました

今日のコーディネートは
結城紬に 自分で紅花で染めた足袋を合わせました ♪


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